アルンヘム Arnhem
オランダ政府観光局公式ページ アーネム
ヘルデルラント州の州都。「アーネム」と英語読み表記されることも多いようです。というより、電車の社内放送でも「アーネム」と聞こえますし、現地の人に「アルンヘム」と言ってみても「アーネム」と言いなおされたりしますね。このサイトでは『講談社オランダ語辞典』に準拠した書き方に統一しているので、「アルンヘム」との表記にしています。Joan Blaeu (1649) “Atlas van Loon” In Wikimedia Commons
1579年にユトレヒト同盟に参加、1585年に正式に七州連邦共和国に加わったため、攻囲戦争の攻防なども特に経験していない街ですが、「マウリッツの『十年』」の東部・北部遠征に際して、軍隊の基地とされることも多かったようです。ライン川に面しているため、拠点として位置的にも重要なことがわかります。 上記の地図は1649年のもの。市壁は1619-1623年にかけて、オランイェ公マウリッツによって重点的に要塞化されました。旧市街地エリアは現在ともあまり変わりません。右下の大きな教会が聖エウセビウス教会で、その南の広場近辺がプリンセンホフやナッサウ伯の館になっています。現在は州庁舎などがあります。
マルクト広場付近の写真(1900) In Wikimedia Commons (Public domain)
残念ながら、第二次大戦時に破壊された部分は新しく建て直されています。とくに上記プリンセンホフ付近は、1944年のマーケット・ガーデン作戦の場所(現在のジョン・フロスト橋)にも近く、現在ほとんどが近代的な建物になっているようです。通常、アルンヘムというと、このマーケット・ガーデン作戦をはじめとして第二次大戦の舞台として語られます。おもしろい旅行記があったのでリンクしておきます。
遠すぎた橋は、本当に遠かった!! ラスト・オブ・カンプフグルッペ
ちなみに、アルンヘムからネイメーヘンまでは電車でも20分。実際、意外と遠いです。
聖エウセビウス教会
Jan van Goyen (1644) アルンヘムの風景 In Wikimedia
ナッサウ伯ヤン六世の息子のうち、八十年戦争中に若くして戦死したフィリップスとローデウェイク=ヒュンテル、その従兄弟ゾルムス伯エルンストの葬られている教会です。柱にそれぞれ説明のプレートがあります。上は、彼らが埋葬されてから半世紀くらい後のアルンヘムの風景。当時の教会の姿がわかります。今の教会は何度も建て直されているものです。 ※最新の訪問記は2017年10月です。それ以前の訪問は2009年。
Sint-Eusebius Kerk
コンビチケット €6.00 火~土(夏季):10:00-17:00 火~土(冬季):11:00-16:00 他
In Wikimedia Commons (Public domain)
入場は無料で、塔へのぼるエレベーターは別料金(€2.50)。塔の途中に展示物もありますが、アルンヘムが第二次大戦時に激戦区となった経緯もあり、その当時のものがメインで、17世紀関係の展示はありません。
2017年には外観が絶賛リノベ中のうえ、教会自体にも入館料が必要になっていました。エレベーターと合わせてコンビチケットもあります。教会で展望台エレベーターがついているのは、ヨーロッパではここだけとか。過去に訪れた際には登らなかったので今回はチャレンジ。2-6Fは停まらず、7Fに着きます。(8Fにも階段で登れますが、窓が上のほうなので背が高くないと外は見えません)。映画『遠すぎた橋』のジョン・フロスト橋も7F展望台から見たほうが全貌が良く見え、写真映えも良いです。
たぶんこの写真も教会から撮ったもの In Wikimedia Commons (Public domain)
Elias Pieter van Bommel (1884) アルンヘムの市場 In Wikimedia Commons
大戦時も含めて何度も建て直されているので、19世紀の建物も現在とデザインが若干違いますね。けれど、建設時の15世紀からアルンヘムのランドマークとなっていたそうです。
地下墓地 In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-4.0)
1Fのいちばん奥から、狭い梯子で地下墓地に降りることができます。この写真は第二次大戦で破壊された後の調査の時のものだと思いますが、現在も概ねこんな感じで、足元には充分に気を付ける必要があります。普通に素人が入っていいのか心配になりますが、見て出てきた後、教会ボランティアの方が「地下行ってみた?まだだったら降りてみて!」とわざわざきいてくれたので、むしろ積極的に勧めているよう。奥に2枚ある扉のうち、左にはヘルレ公シャルルの棺(にしては小さいので聖遺物入れかも)と、右には人骨が3体ほぼ完全な状態で横たえてあります。実はこの遺骨、ナッサウ伯フィリップスとローデウェイク=ヒュンテル、ゾルムス伯エルンストのものだとか。 今までにナッサウ家のみなさんゆかりの地にあちこち行きましたが、まさか本人たち(の遺物そのもの)と遭遇してしまうとは思いもせず、いろいろな意味で衝撃でした。さすがに興味本位で写真を撮る気にはなりませんでした。ウィキメディアにも写真がありましたが、ここでは掲載は自粛し外部リンクとします。
ウィレム一世の3人の甥たちの遺骨 Wikimedia Commons 全員良く似た体格です。脚長いです。
聖エウセビウス教会内の墓石 In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)
ウィキメディア内にあった墓石の画像のうちひとつ。フリースラント州総督ナッサウ伯ヘンドリク(=カシミール)の連隊の副隊長…と読めます。