ネイメーヘン Nijmegen
オランダ政府観光局公式ページ ナイメーヘン
ワール川に面し背後にはマース川、ドイツ国境にも隣接した要所。ローマ時代からある古都でもあります。英語読みで「ナイメーヘン」とも。Joan Blaeu (1649) “Atlas van Loon” In Wikimedia Commons
1579年のユトレヒト同盟に参加したものの、いったん1585年にパルマ公ファルネーゼにより占領。1591年、ナッサウ伯マウリッツにより奪還されました。
Jan van Goyen (1641) ネイメーヘン・ファルクホフの風景 In Wikimedia Commons
オランダ、しかも川沿いにしては陸地が高台です。街中を歩く分には、かなりゆるやかな坂なのであまり標高は感じません。
マルクト広場 In Wikimedia Commons (CC0)
19世紀に市壁が取り壊された後、さらに第二次世界大戦で街の大半が破壊されたため、駅前を含む新市街を中心に、かなり近代都市の様相を呈しています。マルクト広場を中心とした旧市街は昔ながらの風景です。マルクト広場のこのファサードから教会へ抜けます。
クローネンブルガー公園 (1890-1905) In Wikimedia Commons (Public domain)
旧市街西部にあるクローネンブルガー公園にある塔。15世紀に建てられた火薬貯蔵用の塔です。
聖ステーフェン教会 St. Stevenskerk ネイメーヘン
Stevenskerk
開館: 6月-8月のみ 月 10:30 - 13:00、火~土 10:30 - 17:00、日 12:00 - 17:00
ナッサウ=ジーゲン伯アドルフの墓標プレートのある教会。クサンテンでの戦闘で戦死したアドルフはここに運ばれました。親族は近郊のアルンヘムに墓所があるのに、何故彼ひとりだけここなんでしょう…。 ウィレム沈黙公の弟のアドルフでも、神聖ローマ皇帝のアドルフでもありません。ご注意。…と、関連サイトにも書いてありました。また、墓標プレートは関連サイト内に書かれた場所とは違うところにあったので、教会ボランティアのおじさんと2人であちこち探してしまった。
Wikimwdia Commons (CC0)
マルクト広場に近接しているのですが、教会の周りを建物でぐるりと囲んであるので、入口が若干わかりにくいのと、教会全体の様子を写真で撮るのはちょっと難しいです。 教会の内部は、17世紀オランダ絵画さながらの無機質な感じです。とはいえこれは、17世紀風に描いた19世紀の絵画。
Johannes Bosboom (1850-1891) Wikimwdia Commons