ブレダ Breda

オランダ政府観光局公式ページ ブレダ

ハーグ、デルフトに次ぐ、おそらく第三位のロイヤルシティ。街の各所に関連するものを見ることができます。

Blaeu 1652 - Breda

Joan Blaeu (1652) In Wikimedia Commons

Breda Nassaustad

最近、「ナッサウ家の街」を前面に押し出してプロモーション中のよう。2014年は 「第5回ブレダ=ナッサウの日 Breda Nassausdag」が開催されました。普段入れないブレダ城に入れるのが嬉しいイベントです。

ナッサウ・メニュー

いくつかのレストランでは「ナッサウ・メニュー」と称した特別メニューを提供中。週代わりメニューだったり、「ウィレム三世のプライド」「フレデリク=ヘンドリクの勝利」なんて名前をつけた料理があったりします。

ブレダ男爵

駅前通りをまっすぐ来た公園入口に建っていたモニュメント。

Baroniemonument P1050720

ブレダ公園のモニュメントIn Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)

この円柱に書かれている内容を見ると、歴代ブレダ領主の名前と在位が載っています。画像の側はエンゲルベルト一世からフレデリク=ヘンドリクまで。ナッサウ伯当主が兼任しているので名前も順番もナッサウ家当主と同じですが、八十年戦争期はちょうどブレダの領有権がスペイン⇔オランダと何度も移動している時期なので、スペイン領の時期は空位になっている期間がけっこうあります。

ブレダ城

Naar prent in "de Cantillon" - Breda - 20039813 - RCE

Unknown (1565) In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)

歴代ブレダ城主の居館。若い頃のオランイェ公ウィレム一世、少年時代のマウリッツ、ブレダ男爵位を回復した後のフィリップス=ウィレムも住んでいたことがあります。現在はオランダ軍の軍事学校に使われているため、一般公開はされていません。(写真のアップも自主規制しています)。 冒頭の地図では、中央最上部に描かれています。さらにその右には庭園があります。ここの1565年の版画の時代と、建物の大枠は変わりません。ただ、1565年はまだ周りを囲む稜堡はなく、城の防備は細い水路だけです。

Reproductie D.Josua de Grave 1712 - Breda - 20039823 - RCE

D.Josua de Grave (1712) In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)

「スタットハウダー門」と呼ばれる、ブレダ市街地側から城内へ通じる門。門の上部中央にナッサウ家の紋章が掲げられています。 そしてブレダ城と聖母教会の間の広場には、英国王も兼ねたウィレム三世の銅像があります。

Monument Willem III, Breda

ウィレム三世像 In Wikimedia Commons

ブレダ博物館

ブレダ博物館参照。

聖母教会 Grote of O.L.Vrouwe Kerk ブレダ

Breda - Grote of Onze-Lieve-Vrouwekerk voor 1694

Thomas Ernst van Goor (1694) ブレダ聖母教会 In Wikimedia Commons

Grote Kerk Breda

無料 年中無休 月~土:10:00-17:00 日:13:00-17:00

ナッサウ家代々の墓所のある教会です。が、ちょうど沈黙公の亡くなったときに、ブレダの街自体がスペインの支配下にあったため、沈黙公以下現在のオランダ王室の墓所はデルフトの新教会にあります。

Grote Kerk of Breda

ブレダ聖母教会 In Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)

「ナッサウ家墓所」であることを割と前面に押し出しています。2009年当時は、教会の外には垂れ幕、入口をはいってすぐのところにはモニターがあり、蘭・英語でナッサウ家について簡単に見ることができました。2014年は、ちょうど「ナッサウの日」関連で混み合っていたのでその辺は気づきませんでしたが、左側の隅っこに歴代オランイェ公の説明文があり、扉に詳細をプロジェクターで映し出していました。また、中でミニコンサートとバザーもしていました。 内部も他の教会に比べて観光客が多く、無料のうえ写真もOK。気前良いです。 内部にある墓碑名が書かれたプレートには、

  • ナッサウ伯・ブレダ男爵ハインリヒ三世(ウィレム沈黙公の伯父にあたります)
  • ハインリヒ三世の息子で、ナッサウ系の初代オランジュ公ルネ・ド・シャロン
  • ウィレム沈黙公の最初の妻アンナ・ファン・ビューレン

の3名の紋章と名前が見られます。

Johannes Bosboom - Het koor van de Onze Lieve Vrouwekerk te Breda met het grafmonument van Engelbert II van Nassau

Johannes Bosboom (1843) エンゲルベルト二世の墓碑 In Wikimedia Commons

内部の写真は撮りましたがWeb公開は自粛していますので、エンゲルベルト二世のモニュメントは19世紀の絵画で。今とほぼ変わりません。ほか、エンゲルベルト一世のモニュメントもあります。

スペイン門

Overzicht Spanjaardsgat, vestingmuur met torens - Breda - 20372399 - RCE

スペイン門 In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)

スペイン門と呼ばれる、こちらも城外から城内に水路で通じる門。「ブレダの泥炭船」のときもここから侵入したとされています。この写真はおそらく20世紀前半(カラー写真出始め)のものなので、現在よりも近代的なブツが周囲に見当たらずに良い感じ。

ブレダ・ナッサウの日 歴史再現イベント Nassaudag 2014

Turfschip Breda

J. Luyken (1686) 「ブレダの泥炭船 (1590)」 In Wikimedia Commons

オランダのブレダ市では、「ナッサウの街 Nassaustad」を掲げ、2010年から毎年「ナッサウの日」を聖霊降臨祭の第二日(祝日の月曜日)に開催しています。日本人には馴染みの薄い休日なうえ、5月中旬から6月上旬と範囲の広い移動休日なので毎年だいぶ開催日が違っています。 2014年は第5回。

ブレダ市公式サイト Breda Nassaustad

歴史再現イベントとしては、ナッサウ伯エンゲルベルト一世の婚礼行列の再現イベント、「ブレダの泥炭船」の再現イベントなどがおこなわれます。どちらかというとこの2つのモチーフがメインで、1624-1625年や1637年の攻囲戦など、八十年戦争後半はどうでもいい感じです。 また、1年のうちこの日だけブレダ城が一般公開されます。ブレダ城は現在オランダ軍の施設(軍学校)で普段は入れないため、これ目当てにだけ行ってもいいってくらい嬉しい。

ブレダ城

スタットハウダー門から入ります。無料で地図をもらえますが、詳しいパンフレットは€0.50。実は城本体の中身は学校な上、展示物もほぼ近代以降のものなので、個人的にはあまり興味がなかったり。どちらかといえば、併設してある「ウィルヘルミナパビリオン」での展示のほうが良かったです。下に挙げたジャック・カロのブレダ攻囲戦の図があったりしました。

Le siège de Bréda - Jacques Callot

カロ「ブレダ攻囲戦」 In Wikimedia Commons

地下壕みたいなところに入っても良いし、西側に向かうと、スペイン門の内側に出ます。門の両側の塔には、この日用に飲み物を出す店が入っていたり、礼拝堂があったりしました。門の上では、16時半からの泥炭船イベントのため、リハーサルしている衛兵役の役者さんたちが居ます。さらに、スペイン門の内側通路には、やはりスタンバイしている小船に乗ったスペイン兵役2人組が居ました。ほかにも続々とコスプレ役者さんたちが集まってくるのが見れました。