ハーグ/デン=ハーフ The Hague/Den Haag
オランダ政府観光局公式ページ デン・ハーグ
ロイヤルシティのハーグ。正式には、デン=ハーフ(スフラーフェンハーヘ) Den Haag/ 's-Grafenhage。
Joan Blaeu (1649) “Atlas van Loon” In Wikimedia Commons
ビネンホフ
Binnenhof In Wikimedia Commons (Public domain)
ビネンホフを、ホフフェイファー(「宮殿池」とも訳しましょうか…ビネンホフ横にある池のことです)の手前から写した写真です。 1593年から連邦議会が常設されており、現在も国会議事堂にあたる建物です。ナッサウ伯マウリッツとその従兄弟たち、オルデンバルネフェルトの住居もこの中にありました。右上隅の細長い建物(後ろ側の背の高いほう)が「マウリッツ塔」と呼ばれる部分です。
このサイトで扱う時代より100年くらい後の、ベルクヘイデの絵画から2枚。この頃から、雰囲気は今とほとんど変わりません。
Gerrit Adriaensz Berckheyde (1692) In Wikimedia Commons
マウリッツハイス側から、ビネンホフの建物というよりはホフフェイファーを描いたもの。
Gerrit Adriaensz Berckheyde (1680-1690) In Wikimedia Commons
こちらは逆のバイテンホフ側から。管理人の撮った写真と建物のかたちもほぼ同じです。右側の紋章のついた建物は現在「監獄博物館」として知られる建物の門(監獄門)で、デ・ウィット兄弟が殺害されたのもここの前です。この絵の描かれた数年前の出来事です。
ビネンホフ 騎士の間
※ 2009年4月時点の情報です。現在とは違っているかもしれません。
Bezoekerscentrum Binnenhof 公式サイト
オランダ政府観光局公式ページ ビネンホフ
月~土: 10:00-17:00 日: 12:00-17:00 祝: 休 ※国会開会日休館 ガイドツアー料金:
- フィルム上映+騎士の館: €4.00
- フィルム上映+騎士の館+下院: €6.00
- フィルム上映+騎士の館+上院: €6.00
公式ホームページがリニューアルしていました。英語ページもあります。 日曜日も営業することになったようです(祝日除く)。また、夜間ツアーも開催可能とのこと(要問い合わせ)。
ビネンホフ内8番地 In Wikimedia Commons (CC0) 8aはこの左側だったか…。立て看板が出ているのでそれほど迷わないはずです。
「ビネンホフ」内部中央にある「騎士の間」。国会議事堂です。3回めのハーグ訪問にして、やっとツアー参加できました。ガイドツアー以外では中に入れません。日によってプログラムと開催時間が違うので、事前に訪問予定日のスケジュールを問い合わせ、予約したほうが良いです。ビネンホフ内8aから中に入るとレセプションがあるので、ここで予約の旨を伝えて代金を支払います。 内部はかなり細く急な階段があるので、バリアフリーではありません。
Attributed to Bartholomeus van Bassen / Anthonie Palamede (ca.1651) スペイン軍旗の飾られたビネンホフ内部 In Wikimedia Commons
フィルムビデオは、英・独・仏・西語対応のイヤホンを貸してもらえます。が、元のオランダ語の音が大きすぎて、英語がよく聞こえないので、映像とオランダ語の断片で聞いたほうがわかりやすいかもしれません。その後、騎士の間の内部にある椅子に座らされ、ガイドのかたに説明してもらいます。英文レジュメ(あとで回収)を渡されますが、説明は全てオランダ語。内部の壁画や玉座などの説明がメインです。また、昔の騎士の間内部を描いた絵画を見ると、敵から奪った軍旗が天井にたくさん掛けてありますが、今は無いですよ、なんても言ってました。あとはたぶんフィルム内容とある程度かぶっていると思います。 最後に、内部の写真を撮る時間も若干取ってもらえます。ただし、かなり手前にロープが張ってあるので、玉座や正面まで近づいて撮影はできませんでした。
「騎士の間」内部の玉座(右側中央) In Wikimedia Commons (Public domain)
壁には各州の紋章も。ここに見えてるのはユトレヒト、フリースラント、ゼーラント。
ビネンホフ全体は国会議事堂にあたる建物なのですが、特別な行事の無い日には、とくに見える場所に警備の人員が居るわけでもなく、誰でも普通に敷地に入れます。入場口も入場料もなく、マウリッツハイスへの近道として通り抜けるのもぜんぜん有です。
ノールトエインデ宮
ビネンホフのすぐ北西にあります。歩いても5分かからないくらい。前女王陛下の執務宮殿として使われていました。内部の公開はされていません。
In Wikimedia Commons
八十年戦争当時は、ウィレム沈黙公の妃ルイーズ・ド・コリニーが義理の娘たちと住んでいました。ドイツ色の強いビネンホフに住むのは、フランス人の彼女には耐えられなかったようです。
In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)
こちらが裏側のパレス庭園から。ルイーズ・ド・コリニーの息子フレデリク=ヘンドリクが母親に贈った庭園とか。
クローステル教会
Unknown (1689) ランゲ・フォールハウト通り In Wikimedia Commons
公式サイト Kloosterkerk
月~金(5月中旬~9月中旬):12:00-14:00 / 12:00-16:00
意外とオープンの期間も時間も短く、中を見たい場合、公式サイトで開館時間(わかりづらい場所に載っていますが)を要確認。ビネンホフやノールトエインデ宮殿からすぐ近く、歩いても5分程度です。 上記公式サイトよりパンフレット(PDF)が閲覧可能です。これは教会内にはなかったのでDL必須。英語もあり。
In Wikimedia Commons (Public domain)
ここは八十年戦争期の共和国にとって重要な役割を果たした教会です。十二年休戦期に巻き起こった宗教論争が内乱にまで発展しかけた1617年、最後まで自分の立場の明示を留保していたナッサウ伯マウリッツは、この教会を訪れることにより、ホマルス派に組するという政治的意図を示すデモンストレーションを行いました。
また、その後1625年、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクがアマーリアと結婚式を挙げた教会もここになります。共和国軍の武器製造をおこなっていたこともあります。 内部のモニュメントは、17世紀のハーグの有力者のものです。中央の柱にでっかくヤーコプ・カッツの名前があったりします。また、ステンドグラスやモザイク画があり、若干カトリック的な雰囲気もあり。
ハウステンボス宮
長崎県佐世保市のテーマパーク「ハウステンボス」の名前のもとになった、こちらは現女王陛下の居館。そのためやはり一般公開はされていません。門の前までは行くことができるので、ノールトエインデ宮同様、写真を撮ることはできます。
ハウステンボス宮殿外観 In Wikimedia Commons (Public domain)
1645年、オランイェ公フレデリク=ヘンドリクが建築を命じたものの、彼自身はその翌々年に亡くなったため、妻のアマーリアによって建設が引き継がれました。長崎のパレスハウステンボスはこの1/1レプリカです。が、内部の「オランイェザール」と呼ばれる場所の壁画だけは違っています。
Pieter de Grebber (1648) / Salomon de Bray (1649) In Wikimedia Commons
アマーリアが当代きっての画家たちを集めて描かせた壁画の一部。中には入れず、かといって壁画なので持ち出せず…なかなか見られない貴重品です。
銅像
ハーグのとくにビネンホフ周辺には、八十年戦争ゆかりの銅像がたくさんある街でもあります。調べると、市内の他の場所にはここに挙げたもの以外にもまだあるようです。 オランイェ公ウィレム一世(沈黙公)の銅像。上はビネンホフ東の広場。
In Wikimedia Commons
下はノールトエインデ宮前の騎馬像。
In Wikimedia Commons
ホフフェイファーの前にあるオルデンバルネフェルト。ビネンホフの良く見えるところです。
In Wikimedia Commons
ハーグCS駅すぐ前にあるナッサウ伯マウリッツのレリーフ。
In Wikimedia Commons (CC-BY-SA-3.0)
美術館・博物館
- ハーグ歴史博物館/ブレディウス美術館参照。
- マウリッツハイス参照。
- 監獄博物館・ウィレム五世ギャラリー参照。